「病みかわいい」がコンセプトのアイドルグループ、”ぜんぶ君のせいだ。“の「やみかわぐんぐんか」は、バッハのカンタータ147番(主よ、人の望みの喜びよ)のメロディを使用した楽曲です。
導入部はファイナルファンタジーのオープニングテーマのオマージュでしょうか。冒頭のSEもFFっぽい。
2016年リリースの1stアルバム『やみかわIMRAD』収録。
バッハの原曲はこちら。
原曲はシンプルで流れるようなリズムの9/8拍子ですが、「やみかわぐんぐんか」は、こちらの島谷ひとみの「愛歌」同様、16ビート4拍子の跳ねるようなリズムに変えて使用されています。
私はクラシックを引用した曲に触れる時、どうしてその曲を引用しているのかを必ず考えるようにしているのですが、何らかの曲を引用している時、その引用元には、作り手からの隠しメッセージが込められている事があります。
例えばモリッシーのこの曲とか。
エビ中のこの曲とか(ややトンデモ解釈気味ですが…)。
「主よ、人の望みの喜びよ」という題名で知られているこの曲ですが、原題は「Jesus bleibet meine Freude」です。ドイツ語ですが、直訳すると「Jesus stays my joy:イエスは私の喜びでありつづけます」となります。
そして、歌詞を意訳してみるとこんな感じです。私自身、和訳してみてビックリです!
イエスよ。
あなたは私の幸せの源。ずっと。永遠に。
あなたは私の心を慰め、生きる力を与えてくれる。
あなたがいれば、全ての苦しみが消えてしまう。
あなたのおかげで、私は強く生きていける。
あなたは美しい。私の太陽。
私の運命の恋人。この上ない幸福。
…だから、私はあなたを離さない。
私の視界から。私の心から。
これは…ヤンデレ…!!!
こんな事いうと大変不謹慎ですが、聖職者というのは、実存しない神に仕え、神と結婚し、神に人生を捧げるわけです。ヤンデレと言えなくもないです。
「主よ、人の望みの喜びよ」は有名な教会音楽で、結婚式やクリスマスなど祝いの場で使用される事が多い曲です。
しかしその実際は、神様に人生を捧げる太古のヤンデレソングとも解釈できます。
そんな300年前のヤンデレソングを、現代の生ける若者の感覚に当てはめて蘇らせたのが「やみかわぐんぐんか」なのかもしれません。
「やみかわぐんぐんか」のサビは、オリジナルの主旋律とギターによるバッハの対旋律がお互い不協和的で、やや嚙み合わない感じに進みます。その後サビの最後は、半ば強引に二つのメロディが重なり合います。
しかしバッハのメロディは最後まで奏でられる事なく、途中でぶつ切りにされるように無理やり主音に着地させられ、終わってしまいます。
それが却って何だか儚さを演出しているようで、エモいというか、味があるのですが、
この“暴走気味で噛み合わないけど最後は無理やり重なり合う二つのメロディ”というのは、曲中に出てくる男女の関係性を表現しているのかもしれません。もしくは、愛憎入り混じり混沌とした、主人公の心理状態を表しているのかもしれません。
「やみかわぐんぐんか」は命がけの恋愛を歌っていますが、曲調は明るく悲惨さもありません。
リアリティと非現実性が併存しており、どこか儚さもある、彼女達の世界観にとても合った楽曲だと思いました。
もちろん彼女達も今どきのアイドルなので、恋愛系の歌詞は、得てしてファンに向けてのメッセージでもあります。
「主よ人の望みの喜びよ」のメロディに込められた裏メッセージを、ファンとしてしっかり受け取っておきましょう。「病み(≒闇)」属性の女の子に、「あなたは私の太陽」と言われているわけですから、そりゃあもうグッときます。太陽の存在が居るから、病みの中でも生き続けられるわけです。白夜行みたい。ステキ。
それにしても、「ぐんぐんか」って何でしょうか?「ぐんぐん歌」と思われますが…。
主人公の「真っすぐだけど、歪で不器用で未熟でもある生き様」を「ぐんぐん」という言葉で表現しているのでしょうか。
追記:ファンの方より、「やみかわ軍 軍歌」ではないかというご意見と、歌詞の「太宰は言ってる 人間は恋と革命のために生まれたって」の部分は小説「斜陽」の一節であるという助言をいただきました。ありがとうございます。
「ぐんぐんか」はこれで間違い無いと思われます。
斜陽の引用に関してですが、この曲では結局「斜陽」のくだりを口実に、好きな人のためには犯罪行為も厭わないという決意表明をしているわけで、これは別に革命ではないし、きっと太宰治が伝えたかったのはそういう事ではないと思うのですが、「病んでる若者が太宰治を読んで、都合の良い印象的なフレーズだけ切り取る」というのは凄くリアリティがあるシチエーションだと思いました。