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『少女歌劇レヴュースタァライト』感想・考察

TVアニメ『少女歌劇レビュースタァライト』。

演劇学校をテーマにしたアニメで、いわゆる日常×百合×音楽系アニメに宝塚的な要素を加えた作品です。2017年放映。

素敵な音楽とカッコいい決闘シーンが印象的ですが、とてもメッセージ性が強く、モチーフの使い方など丁寧に作られている部分も多いです。

私は序盤からずっと「ヒロイン(ひかり)に華も魅力も無いなぁ」と思いながら観てたのですが、実はそれも演出だったという事(過去のオーディションに敗れた事によってキラメキを失ってしまっているという設定)が終盤になって判明し、度肝を抜かれました。


感想及び考察を以下の3つのテーマに分けて書いていきます。

 

OP曲「星のダイアローグ」とアニメ本編の関係に関する考察

OPテーマの「星のダイアローグ」はオーケストラを従えた楽曲で、3連リズムのイントロ&Bメロ、4拍子のAメロ&サビを擁するミュージカル風の曲です。


1番の後の間奏と2番の後の間奏はそれぞれ異なりガラっと雰囲気を変えます。

なので流れ的には

3拍⇒4拍⇒3拍⇒4拍⇒間奏①⇒4拍⇒3拍⇒4拍⇒間奏②⇒3拍ブリッジ⇒⇒4拍

のような感じになっており、合間に変化をつけながら3拍パートと4拍パートを繰り返す構造になっています。繰り返しながらもアレンジやメロディは少しずつ変化していきます。

こういう合間に異なるパートを挟みながら同じ旋律を繰り返す手法をロンドと呼びます。

そして、この”複数のパートを繰り返しながら発展させていく”というロンド的構造は、『少女歌劇レビュースタァライト』という作品の根幹テーマそのものでもあります。

 

アニメの1話の流れはほぼ常に「日常パート⇒決闘パート」となっており、そんな形式を毎回繰り返しつつも、時々違う構成の話を挿入しながら進んでいく。という作品全体の流れがまずロンド的。

そして、ストーリーの幹に「古典の戯曲である『starlight』を毎年文化祭で上演する」という設定があります。同じ作品を毎年進化させながら上演する、というこの設定も同様。

更に、中盤の山場となる大場ななに関するエピソード。”どれだけ良いものができたからといって、それを単に繰り返すだけではいけない。繰り返しながらも常に進化し前進し続けなければならない”という、アニメ全体に流れる大きなメッセージを直球で伝えるエピソードです。このメッセージもまさしくロンド的。

 

という事で、アニメ『少女歌劇レビュースタァライト』のテーマ及び作品構造を1曲に凝縮したのが、OPテーマの「星のダイアローグ」です。ほんのり悲哀を纏いつつも前向きなメロディが作品の雰囲気にピッタリで、たとえ途中に苦難があっても、ラストのハッピーエンドをしっかりと予感させる曲調となっています。


ちなみにED曲の「Fly Me to the Star」も有名な曲である「Fly Me to the Moon」をオマージュした楽曲で、毎回歌い手を変えながら繰り返し”再生産”されるという、同様の観点から作られたEDテーマです。

作品が伝えたいメッセージ

『少女歌劇レビュースタァライト』は、かなりメッセージ性が強く、作品中で何度も何度も同じような内容のメッセージを繰り返しながら視聴者に訴えかけてきます。これも前述した”作品そのもののロンド的コンセプト”です。また作品の至る所に「星」という単語やモチーフが登場し、”夢””煌めき”を象徴しています。

作品が伝えたいメッセージはおそらく、

①互いにもたれあう依存的な関係や、一方的に庇護する関係は不健全。それぞれが自立し互いに上を向く関係が理想。

②永遠の安寧よりも一瞬の煌めきの方が尊い

③温故知新

といった所ではないかと思われます。

①互いにもたれあう依存的な関係や、一方的に庇護する関係は不健全。それぞれが自立し互いに上を向く関係が理想。

作品の登場人物は漏れなくカップリングされています。しかしほぼ全てのカップリングが、共依存的な関係・相手の意見を聞かずに一方的に庇護する関係・相手を自分のアイデンティティの拠り所にしている関係等、精神的に未熟なカップリングになっています。

序盤の日常パートで百合的な馴れ合いが多いのが目立ちますが、それは登場人物同士の未熟な関係性の裏返しでもあるのです。

それぞれの登場人物は決闘や困難を通して、意見交換をしたり相手の情熱に触れたりします。それによって、”相手を思うだけではなく、自分自身が煌めかなければならない”・”個人が他人を縛り管理しようとするなんて傲慢である”と悟る事となります。そしてお互いが自立しそれぞれが夢を見据える理想的なパートナー関係となります。

「相手に寄りかかるような関係」から、「背中合わせの関係」「手を取り合いそれぞれが上を向く関係」に進化すると言い換える事もできます。作中で何度も「まだ体の固い未熟な登場人物がパートナーに寄りかかるストレッチ」をする場面が登場し、終盤では「背中合わせ」「手を取り合いそれぞれが上を向く」という構図が何度も登場します。

②永遠の安寧よりも一瞬の煌めきの方が尊い

これはもう、作中で解りやすく伝えられており、大場ななのエピソードではハッキリとニーチェの永劫回帰に関する言葉を引用しています。きっと輪廻からの解脱とかそういう価値観も関わってくるのでしょう。

私の好きな作品である手塚治虫の「火の鳥」を初めとして、様々な作品を通して伝えられるメッセージであり、”永遠に続く命は決して幸せではない”・”一瞬でも光り輝き、生きてて良かったと思える瞬間があれば、それは幸せな人生”という普遍的な価値観です。

 

③温故知新

作中のキーワードとなる「再生産」という単語。古典の戯曲「スターライト」にオリジナリティを加えるというストーリー。単なる模倣の繰り返しではいけないという大場ななのエピソード等を踏まえると、「温故知新」も作品の重要なテーマとなっている事が考えられます。

作中の決闘シーンで使用されるレヴュー曲の中には、クラシック曲を引用したものもあります。これも「古典のリアレンジ・再生産」であり、作品のコンセプトに沿ったものであると言えます。

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アニメの9話で、「前へ進み続けなければいけない」という内容の古典の引用や偉人の名言を散々述べた後に、最後に自分の言葉を並べる星見純那のシーンは特に象徴的です。作品のテーマ全てを包括しています。

 

アニメ全体を通しても、「散々過去に使い古された普遍的なメッセージでも、大事なことは何度でも形を変えて現代でも伝えて行かなければならない」という製作者の強い意気込みを感じます。

 

 

あともう一つ、作品が伝えたいメッセージがあると思われます。それはおそらく、キリンの存在です。

キリンの存在意義について

作中で浮きに浮きまくっていたキリン。作中において、「気まぐれな神様」的役割を担っていますが、

最終話で”アニメ視聴者の比喩”でもある事が判明します

自分で高みに上ろうとせずに高いところの葉を食べるために首が伸びた&”見る”に特化した結果首が伸びた動物であるキリン。

そんなキリンを最終話で視聴者に重ね合わせたうえで、しかも最後の最後でキリンを蚊帳の外で放ったらかしにしながら大団円を迎えるクライマックスは、かなり趣味が悪いです。

 

そんなキリンの口癖が「わかります」なわけで。傍から鑑賞しているだけで全部解った気になっている私みたいな人間に向けて「お前だよお前!これは自分で努力せずにアニメばかり見てきて首だけが伸びてしまった醜いお前そのものだ!」と言われているような気分になります(そこまで言ってない)。

妙にリアリティがあるキリンの造形も意図的なものであったのだと、ここで気づかされるのです。

 

そう考えると、キリン放ったらかしのラストも辻褄が合います。

もしあそこでキリンが「人(キリンだけど)が他人を見世物として管理しようとするなんて傲慢だった…」と反省したり、「そういえば私にも子どもの頃からの夢があった…」等と改心してキラメいて見せ場を作ったりしてしまうと、視聴者は自身をキリンに投影し、達成感を得て満足してしまうかもしれません。

そうではなく「予定外の事が起きた!素晴らしい!」と、単に”んほって”しまっているキリンを観て、視聴者は「これではイケない」とキリンを冷めた目で見る事になり、「私も自分自身でキラメかなきゃ」と奮起する事になります。

 

しかし、そもそも『少女歌劇レビュースタァライト』をしっかりと通して観てきた視聴者からすれば、キリンに感情移入するハズもなく、キリンのしてきた事が肯定できるものではない(一個人が他人を縛り管理する事なんてできない)という事も解るわけで。

そう考えると、最終話でキリンが視聴者に向けたメッセージは、派手なレビューシーンやキャラ萌えばかりに飛びついて、作品の本質を観てこなかった一部の視聴者に向けたものなのかもしれません。

 

私も少しでもキラメきたいので、明日から仕事がんばろ。

 

※おまけ:作中でちょっと違和感のある「再生産」というワード。資本主義経済を語る際に使用される単語です。

たぶん、「資本主義社会の中で、作っては消費してを繰り返す小さな歯車に過ぎない一個人でもしっかりと輝いて自分自身の人生を生きる事が大切」みたいなメッセージが込められていたり、「舞台少女たちは経営者や消費者に振り回される労働者を暗喩している」みたいな感じになってたりしそうですが、私は全然その辺詳しくないのできっと資本主義とか消費社会とかに詳しい誰かがどこかで考察してくれているはず。

ABOUT ME
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syro:生まれも育ちも長崎市です。二児の子育て中。 趣味はインドア全般。音楽以外ではスマホ収集とトライエースと三島由紀夫と遠藤周作が特に好きです。 好きな作曲家はメンデルスゾーンと葉山拓亮。

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