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阿賀沢紅茶『氷の城壁』感想・考察~「発達心理学」「アイデンティティ」「扉」のキーワードから~

 

 

阿賀沢紅茶という作家さんの『氷の城壁』というマンガを読んだのですが、単なる男女の恋愛マンガかと思いきや、思いのほか心理学的な内容がガッツリ入っていて度肝を抜かれたので、思わず感想文を書く事にしました。

「発達心理学」「アイデンティティー」と『氷の城壁』

『氷の城壁』では、4人の男女を中心人物として、高校生活の中での成長や恋愛模様が描かれます。

中心人物の4人は、それぞれの形で、アイデンティティ・クライシス(自己同一性の喪失)を抱えています。「自分がどんな人間か解らない」「周囲に合わせて自分を演じている」等の悩みです。

 

発達心理学において、アイデンティティの形成(自分がどんな人間なのかを知り、それによって他者との違いを認識できるようになり、延いては人間関係を適切に処理できるようになる)というのはとても重要な要素です。

 

いわゆるメンヘラと呼ばれるメンタルヘルスに問題を抱えている人も、この自己同一性の喪失を抱えているケースが珍しくありません。

メンヘラの代名詞ともいえる、境界性パーソナリティー障害の特徴でも”自己同一性の欠如(自分がない・自分がどんな人間なのかが解らない)”が挙げられます。

 

『氷の城壁』には境界例らしき登場人物は見受けられません(あえて言うなら、湊の元カノは”重い”人ばかりという描写があり、そういった人物との付き合いが多かったのかもしれません)が、小雪は回避性パーソナリティ障害のような人格です。

・回避性パーソナリティ障害は、自分が拒絶されたり、批判されたり、恥をかいたりすることを恐れるために、そのような反応を経験する可能性のある状況を回避します。

・回避性パーソナリティ障害の患者は、嘲られたり、屈辱を感じたりしたくないため、自分について語りたがりません。

・患者は生まれつき社会的状況で不安を感じたり、小児期に拒絶や疎外体験を経験していたりすることがあります。

この回避性パーソナリティ障害の特徴である”拒絶に対する恐れ”というのは、湊の深層心理にも当てはまります。一見正反対に見える小雪と湊ですが、二人の行動原理には共通するものがあるのです。二人が惹かれ合ったのは必然であるといえます。

いわゆるメンヘラというのも、根本的には家庭環境や育つ環境などから十分にアイデンティティが確立されておらず、それにより、人格の歪みや対人関係のトラブルなどを引き起こすケースが多いようです。「体は大人、頭脳も大人、心は子ども」といった感じでしょうか。

話を戻しますが、精神的に自立し大人になるために、アイデンティティの確立というのは避けては通れない道なのです。

『氷の城壁』の中心人物の4人は、それぞれ恋愛を成就させる前に、先ず自らのアイデンティティと対峙する事になります。

15話の勉強会の際に、小雪が美姫に対して「基礎が出来てなきゃ応用は出来ないよ、変な楽の仕方しないで」と諭す場面がありますが、この一言に小雪の「勉強はできるが精神的にはまだ未熟であり、アンバランスな成長過程にある」という現状が集約されており、同時に彼女達の前途を暗示しています。

勉強においては正しい学び方をきちんと理解しているにも関わらず、対人関係や精神的な成長においては同じメソッドを活用する事ができていない状況ですね。

 

作中で、湊の兄を初めとした大人達は、時に物語の答えのような重要なメッセージを単刀直入に話してくれます。しかしそれはありふれた正論のように見え、読者の心を素通りしている事が多いのではないでしょうか。

長い時間の中で、実体験を交えて、失敗や思慮を何度も繰り返しながら身をもって学ぶことで、ようやく4人の男女は自身のアイデンティティを確立し、そこからようやく他者との対話ができるようになります。

 

一つのテーマを長々と取り上げ、やや冗長にも思える『氷の城壁』ですが、そのおかげで、読者は主人公達に自身を投影し、作品が伝えたいメッセージを実体験のように追体験し、実感する事ができるようになっています。

 

『氷の城壁』と発達心理学の関係については、こちらの記事で更に詳しく解説しています。合わせてお読みください!

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扉のモチーフ

作品のタイトルは『氷の城壁』ですが、作中には「壁」よりも「扉」のモチーフが多く登場します。作中において「扉」=「心の扉」もしくは「変化のモチーフ」として描かれている事が多いように見えます。

 

例えば小雪がダイニングの扉を開け、母親が泣いているのを発見する場面。小雪は母親の心の扉を無意識に開けてしまい、その奥に母親の素顔を垣間見ますが、そこから踏み込む事なく小雪は踵を返します。

 

もう一つ、下駄箱に関する対照的なエピソードを例に挙げます。下駄箱は勿論、=持ち主のパーソナルスペース&心の核の部分であり、下駄箱の扉は心の扉を暗示しています。同時に下駄箱は、「学校生活(社会)とプライベートの境界線」を表現しているようにも見えます。

小雪がイジメに合い、下駄箱にゴミを入れられている場面。イジメっ子は、他者の心の扉を無理やりこじ開け、心にゴミを投げ入れています。

一方で湊の誕生日サプライズとして、美姫たちが下駄箱の飾りつけをする場面。友人は、自分の心の扉をとても丁寧に扱い、その中を彩ってくれる存在として描かれています。

 

もう一つ例として、物語の終盤103話、修学旅行の旅館の場面。様々な扉が登場し、物語も大きく転機を迎えるシーンです。扉マニア必見(?)。

小雪は一人で旅館を歩いているとき、中庭の扉を発見します。しかし好奇心よりも不安が勝り、扉を開ける事無く素通りします。その後小雪と湊が二人で旅館を歩く場面。自動で空いたEVの扉を通るのを小雪は自分の意志で拒否し、中庭へ向かいます。

二人で中庭の扉を開ける瞬間はとても丁寧に描写されています。

・「一人では不安に感じる世界にも、二人なら飛び込んでいける」という意味
・「二人で、お互いの心の中心部に足を踏み入れる」というシーン
・扉を開け異世界に出る事で「二人の関係の発展」を暗示している
・「小雪が自分の意志で道を選択した」事を象徴している

などなど、一つのシーンに様々な意味を見い出す事ができる、良い場面です。

個人的に“中庭”というのがとてもグッときます。より内側に向かう扉であると同時に、外に開かれた扉でもある。内面へ踏み込む瞬間と、新しい世界へ踏み出す瞬間を同時に表現していると思うのは、こじ付けでしょうか??

 

他にも、保健室の扉。職員室の扉。教室の扉。非常階段への扉。家の扉。中庭の扉。

 

誰かが扉を前にしている時。誰かが扉を開ける時。その時、登場人物の心象や関係性、または何らかの変化がそこに表現されています。

 

作者のインタビューで、ドラえもんが好きという話がありました。作者にとって扉というのは「どこでもドア」のイメージなのかもしれません。ドキドキや、新しい世界との境界線。

新しい世界との境界線というのは、他人との境界線でもあり、成長の瞬間でもあります。

確か、作中のどこかにどこでもドアそっくりな扉も登場していたはず。

 

作品を通して伝えたいメッセージ

教訓としては、

・自分がどういう人間なのか。自分の考え方や人間性の裏には何があるのかを考えるのは大事。大事だけれど、自分の嫌な部分を見る事で自分を責めてはいけない

・自分を見つめるだけでなく、相手の気持ちを考える。更に考えるだけではなく、言葉にして伝える。相手の意見や考えを聴き、自分の意見や考えも表現する

・他者ときちんと向き合い深い人間関係を築くためには、その前にまず自分と向き合う必要がある。

あたりでしょうか。

 

この阿賀沢紅茶という作家さんの『正反対な君と僕』というマンガも話題になっているようですが、『氷の城壁』と比べると内省的な描写は少なく、プロットもあまり感じないあっさりとした仕上がりです。絵柄や節回し・ギャグは相変わらずなので、その辺りがツボる方は是非どうぞ。

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syro:生まれも育ちも長崎市です。二児の子育て中。 趣味はインドア全般。音楽以外ではスマホ収集とトライエースと三島由紀夫と遠藤周作が特に好きです。 好きな作曲家はメンデルスゾーンと葉山拓亮。

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