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考察:阿賀沢紅茶『氷の城壁』に学ぶ、青年期の発達心理学【ネタバレあり】

はじめに

『氷の城壁』を読んでいると、青年期(12~23歳くらい)の発達心理学について、とても丁寧に描写されているのがよくわかります。「マンガで解る、青年期の発達心理学」みたいです。

しかし、この作品の凄いところは、そういった専門書のような用語や雰囲気は全く無く、ごく自然に、完璧に日常恋愛漫画の体を成している状態で、それを成し遂げている所です。最初から最後まで、心理学の「し」の字もアイデンティティーの「ア」の字も出てきません。

エンタメとして面白いからこそ、はじめてその教育的意味が輝いてくるのです。

ですので、そんな『氷の城壁』について、心理学の観点からあれこれ解説するのははっきりいって完全に作品の良さをつぶしており野暮であるのですが、そういった観点を持つ事で違った角度から作品を俯瞰する事もできるかと思いますので、読み返す時なんかに頭の片隅にでも置いてくださればと思います。

主に参考にした本はこの3冊です。とても分かりやすく発達心理学について書かれています。子どもから高齢者まで、各時期における心理的な特徴について述べられており、人生全て、人間関係全てにおいて参考になります。

 

青年期は、子どもから大人への移行期であり、この時期は急激な身体的変化や性的な成熟、ピアジェの発達段階でいう具体的操作期から形式的操作期に移行するといった、認知的な変化が生じる時期でもあります。周囲の他者との関係も大きく変化する時期です。

自分自身も、周囲との人間関係も、めまぐるしく変わっていく青年期。『氷の城壁』のラストで語られるモノローグは、まさしく青年期の心理発達を総括した内容となっているのです。

 

「アイデンティティ」と『氷の城壁』の4人

95話で湊の兄が、湊に教え諭すその内容は、とても解りやすく、心に刺さった読者も多いと思います。この時、湊の兄は「アイデンティティ」について解説しているのです。

 

発達心理学で有名なエリクソンという学者がいますが、青年期ではアイデンティティを確立する事が一番重要であるとエリクソンは述べています。

「自分はどんな人間なのか」「自分の生きている意味は何だろうか」という、揺るぎない自分を認識する事です。それにより、他者も自分を認めてくれていると感じる事ができ、他者にもそれぞれアイデンティティがあるという事を認識できるようになります。

 

言い換えれば、アイデンティティに関する悩みを経験し、乗り越えなければ、良好で深い人間関係を気付くことができず、恋愛も上手くいかないという事です。

『氷の城壁』の登場人物たちは、時には他者に自分の人間性を指摘され、時には自分自身で悩みながら、何度も何度も自分の内面について考えます。

それと同時に、相手の気持ちを考える事もできるようになっていきます。「自分らしさ」が解ってくるにつれて、他人にもそれぞれ「その人らしさ」があると気づくのです。

初めは先入観や過去の経験から「ノリが良い男子グループ系」「熱川さんの妹」などレッテルを貼って相手を見ますが、少しずつ対話や内省を通して、他者のアイデンティティへの理解を深めていくのです。

 

エリクソンと関係が深い発達心理学者であるマーシャによると、アイデンティティの確立に必要なのは「危機(crisis)」「積極的関与(commitment)」であるそうです。

「危機」=心理的な悩みや危機を経験する事。迷い苦しむ事。

「積極的関与」=自分の考えや信念を表現し、それに沿って行動する事。自分自身で責任を伴う決定をする事。

この二つを達成しているかどうかでアイデンティティの確立度を測ります。

達成状況によって「アイデンティティ達成」「モラトリアム」「早期完了」「アイデンティティ拡散」の4パターンに分けられると言われています。

アイデンティティ・ステイタス 危機 積極的関与 概要 『氷の城壁』各キャラ対応
アイデンティティ達成 自分の長所・短所を理解し受け入れる事ができている状態 物語終了時の各キャラ
モラトリアム 自分の生き方について模索中で迷っている状態 初登場時の小雪・美姫。また物語中盤での他キャラ
早期完了 × 親が子どもに期待する生き方や目標・価値観を受け容れて、その道に沿って歩んでいる。それに対する疑問も持たない状態。表面的には見せかけの自信を持ち、適応的。 初登場時の湊
アイデンティティ拡散 ○or× × 今の自分は本当の自分でないような気がするという感覚。一時的に自分自身を見失い、一貫性を持った生き方ができないでいる状態。自己嫌悪感や無気力が特徴的。 初登場時の陽太。桃香と別れた後の湊

初登場時の陽太がどの状態にいるのかは微妙ですが、児童期に大きな喪失体験をしている点や、美姫に合わせて進路を選んでいる点・自己嫌悪に関する描写がある点・自分について悩む事を放棄しがちな点などから、拡散にしてみました。

一見安定しているように見える湊や陽太の方が、実はアイデンティティ形成に関しては未熟であるというのも興味深いです。美姫と小雪は初登場時で既にアイデンティティに関する問題に直面しており、美姫は家庭環境が良好でトラウマも少なく比較的順調・小雪は内省的な性格であり初登場時点で既にかなりの自問自答を繰り返してきている点から、既にアイデンティティ形成に片足を突っ込んでいる状況となっています。

物語後半で桃香と別れアイデンティティ拡散状態に陥る湊や、終盤の110話でも「俺は一人だと暗くて何もない」と言い切る陽太は、まだまだアイデンティティ形成の途中にあると言えるかもしれません。

 

物語中において、小雪が他者に対して鋭い適切な助言をする場面がしばしばみられますが、それはアイデンティティ形成においては小雪は他者よりも進んでいるからです。

 

第1話と最終話に登場する「鏡」と「アイデンティティ」

ちなみにこの作品、第1話と最終話が対応&対比関係にあるのは明らかですが、アイデンティティの観点から見ると、鏡が重要なモチーフとなります

第1話では、小雪は鏡を通して「いったい私の何がそんなに怖いんだ?」と自問自答しています。これは自分自身に対して抱くイメージである「自己像」を見つめているのです。自分自身の事が解っておらず、また他の人の目にどのように映るのかに関心を持っています。

青年期の少年少女は、鏡の前で長い時間を過ごし、外見を気にするようになります。それは他者の目を気にするようになると同時に、自分の「身体像」を元に「自己像」を形成しようとするためです。

13話でも、小雪が「窓に映った自分(=身体像)」を見つめながら「自分の本心(=自己像)」について思いを馳せるシーンがあります。

つまり「鏡で自分の姿を見つめる」という行為は、自分自身を客観的に見つめようとする行為であり、それがアイデンティティ形成の一助を担うのです。

一方最終話では「ただの鏡」として扱っています。アイデンティティ達成により、自分自身に対するイメージである「自己像」の形成が既に完了している事を示唆しています。

小雪が鏡を見つめるシーンは、その時点での彼女の心理発達状態を端的に表現しているのです。

このマンガほんと良くできてる。

 

「性役割観」と五十嵐くん

いわゆる男らしさ、女らしさの事を「性役割観」と呼びます。

男らしさ:「たくましい」「指導力がある」「意志が強い」etc.

女らしさ:「かわいい」「おしゃれ」「物静か」etc.

親のしつけは子どもの性役割観に大きな影響を及ぼします。

 

もちろん誰だって男らしさと女らしさの両方を持ち合わせているのですが、社会や周囲が性に期待する行動や態度のことを「性役割期待」と呼びます。

美姫は周囲から「アイドルらしさ」、小雪は五十嵐から「好みの女性像・伝統的な女性らしさ」という性役割期待を内包する言動を受け、自分自身とのギャップに戸惑うようになります。

小雪が五十嵐に「あなたは自分の中で勝手に理想の恋人像を作り上げているだけ」と訴えるも、五十嵐自身はその指摘がしっくり来ていない。といった場面があります。

これは五十嵐が「理想の恋人像」というよりも、「伝統的性役割観」を持っているからであると考えられます。小雪の「小さい」「大人しい」といった要素から、全体的な「女性らしさ」のイメージを膨らませていったのでしょう。五十嵐は伝統的性役割観を小雪に当てはめたせいで、彼女自身の特性を理解しようとせず、一方的なコミュニケーションを図ります。

五十嵐の一方的なアドバイスは「指導力がある=男らしさ」という性役割観にも由来しているものと思われます。亭主関白・パワハラ気質ともいえるかもしれません。

部活を辞めた小雪に対して「今までの努力が無駄」と一蹴するのも、「辛い事も我慢してやり通す事が正しい」という、ある意味古い価値観に基づいた発言です。

52話の五十嵐が、真夏と小雪の喧嘩を見て躊躇なく小雪を助け抱きしめる場面は、彼の性役割観を象徴するシーンです。女を守るのが男の役割」という伝統的な性役割観を五十嵐が持っている事が伺えます。

46話の”かわいいピンクの紙袋を持ちたがらない”エピソードや、87話での小雪とのやり取りでは、五十嵐の”男らしさ・女らしさ”への拘りが垣間見えます。また87話では、「か弱くて品が合って 俺に優しい女が好き」と話しています。

 

先述の通り、親の性別しつけが子どもの性役割観に大きな影響を与えるため、五十嵐自身も家庭環境から影響を受けているのかもしれません。

もちろん最近では、「男・女である前に、自分らしさを大事にするべきだ」という考えが浸透してきており、男だから、女だからにとらわれず、一人の人間として生きる事が重要な時代となっています。

というわけで、アンドロジニー(男らしさと女らしさを併せ持つ)を有し、周囲の性役割期待に悩む美姫が陽太に惹かれたのも必然という事です。

 

主要人物の4人は皆、比較的伝統的な性役割観の少ない家庭で育った様子が伺えますが、小雪に関しては五十嵐の影響もあり、似たようなグループの男性に対しては不信感や苦手意識を抱いています。両親の不仲&離婚も多少の影響を与えている可能性があります。

 

「親子関係」と小雪の両親

もちろん青年期の心理発達に関して、親子関係は切っても切れない関係があります。『氷の城壁』は最終章に、とって付けたように親子関係に関する物語が展開しますが、従ってこれも必然といえます。

最終話で小雪が離婚した父親と再会し、「距離感があった方がうまく行く関係もある」と自身の価値観を説くシーンは、端的に彼女の成長やアイデンティティの確立と、親子関係の変化を象徴しています(適度な親との関わり方を学び、また、親とは違った独自の価値観を確立しています)。

 

アイデンティティとレゾンデートル

「自分はどんな人間なのか」が=「アイデンティティ」なら、

「自分が存在する事にどんな意義や価値があるのか」を=「レゾンデートル(存在意義)」と呼びます。「アイデンティティ」と「レゾンデートル」は異なるものであると同時に密接な関わりがあります。

 

青年期から自分の存在意義を意識しだすのが一般的ですが、自分の存在意義がわからず、それを感じる事ができない時、人は非行に走ったり、自ら命を絶ったりする事もあります。青年期の心理発達においては、レゾンデートルの確立も避けては通れないものです。

アイデンティティの達成を果たし、また友人関係や恋愛関係など外の社会で自身の存在意義(=生きがいや役割)を見い出した小雪は、最後に自身の一番本質の部分にある、根源的な存在意義(自分は何のために生まれてきたのか、自分は生まれてきて良かった存在なのか)に迫ります。それが113話~115話になります。

要は、ここが、小雪が大人になるために決着をつける必要があるラスボス、という事です。

もちろんその背景には、自身が授かり婚で生まれた事や、家庭環境、今までは外の社会でも存在意義をあまり見い出せていなかった事などが、要因として存在しています。

 

存在意義に関しては、32~34話,56話でも取り上げられています。ここでは小雪の「私が2人を繋ぎ止めているという自信があった」という描写が重要です。家庭での重要な役割を担う事で、小雪が自身の存在意義を実感していた事が解ります。しかし両親が離婚した事で小雪は喪失感と無力感に苛まれ、さらに学校での疎外感により自身の存在意義を見失ってしまいます。

 

一方、陽太の場合です。陽太の義理の母親は、陽太を気遣うあまり彼を頼らず、役割を持たせようとしません。

家庭で役割を持たず、弟妹の世話が忙しい事により両親からあまり関わってももらえない陽太は、小雪と同様に喪失感と無力感・疎外感により、家庭での存在意義を実感できなくなってしまいます。

家庭で陽太に何らかの簡単な役割を持たせ、それに対して「ありがとう」の言葉をかけていれば、陽太の心理発達は違ったものになっていたかもしれません。

 

この32~34話はとても重要な場面で、発達心理学の観点から見ても前半の山場となります。「これだけお互い共感し理解し合えているのに、どうして小雪と陽太はくっつかないんだ??」と疑問に思う読者も多かったかと思います。が、それにもちゃんと理由があります。

小雪が陽太に惚れなかったワケ

親子関係に関しては、31話で小雪が陽太に父親を投影するシーンも重要な部分です。

心理学者の小野寺敦子さんの論文によると、年頃の娘にとって、魅力的な父親と思える一番の原因は「両親の仲がよい事」であるそうです。

娘にとって母親は最も身近な同性モデルであり、母と娘の結びつきは強いと言われています。その母親を大切にしている父親の姿を見ると、自分も父親のような男性を探して結婚したいと思うようなのです。

反対に、夫婦仲が険悪な場合は、父親に対して嫌悪感を持つようになります。父親は娘にとって、よくも悪くも最も身近な異性モデルとなっているのが解ります。

 

小雪にとって父親は優しく愛情も感じる存在でしたが、両親は仲が悪く離婚してしまいます。

よって父親を想起させる陽太に対して小雪は、良好な異性関係を築けるとは想像できなかったはずです。

従って、小雪が陽太に異性として惹かれなかったのも必然であるといえます。

 

「友人関係」と明天高校

青年期において、友人関係は重要な要素となります。反抗期や自己形成などで親との心理的葛藤から不安や孤独を感じる事も多く、その分自分と同じ気持ちを共有できる友人関係を深めていきます。

発達心理学において、友人関係の意義としては、以下のものが挙げられます。

1:対人関係能力の学習:親-子や、教師-生徒というタテの関係ではなく、対等な関係における人間関係能力を学習する機会となる。楽しい事や嬉しい事だけでなく、傷つき、傷つけられる経験を通して、人間として良い事・悪い事・思いやりや配慮について学ぶ。

2:情緒的安定化:情緒的に不安定になっても、相談したり慰めてもらったりする事で、情緒的な安定のためのサポートを得る事ができる。自分だけではなく友人も同じような気持ちなんだと思う事で安心する。

3:自己形成のためのモデル:友人と自分を比較したり、友人をモデルとしたりする事で自己形成に役立つ。友人関係を通して、自己を客観的に見つめ、長所や短所に気付いたりする。

これはもう一目で解りますね。というか、『氷の城壁』は最初から最後まで、この3つをそのままマンガにしていると言えます。全てのキャラとの関わりが、彼女達の心理的発達に寄与しているのが理解できるでしょう。小雪が職員室や保健室に入り浸っていたのも納得です。そこに対等な関係は存在しないからです

 

もう一つ、岡田努の論文「現代大学生の友人関係と自己像・友人像に関する考察」で述べられている、現代大学生の友人関係の分類を紹介します。

1「群れ群」:冗談を言って相手を笑わせたり、皆でいる事を重視する

2「気遣い群」:互いに傷つけないように気を使ったり、互いの約束を決して破ったりしない

3「ふれあい回避群」:互いのプライバシーに踏み込んだり、心を打ち明ける事はしない

月子や美姫が以前の友人グループに抱いていた違和感や悩みがキレイに当てはまります。いわゆる”浅い”友人関係という感じです。しかしやがて、それぞれが内面的なことにも触れる事ができる友人交流を形成していく事になります。

友人関係を深めていく段階で重要なのは、「自己開示」であると言われています。他者に対して、自分がどのような人間であるのか、どのような考え方を持っているのかなど、自分自身に関する事を伝えることです。したがって、「自己開示」と「アイデンティティの確立」は切っても切れない関係にあります。

美姫が友人グループに素の自分を打ち明ける場面や、44話で月子が小雪に女子グループの違和感を伝える場面などが「自己開示」に該当します。自己開示をきっかけに、彼女達の仲が深まっているのが解ります。

大事なのは「本当の自分」を伝えるという事です。逆に、相手の期待に応えて振舞ったり、自分の評価を高めようとして意図的に行う行動は「自己呈示」と呼ばれます。

 

一方で、友人を作る段階で必要な要因は、

明朗でとっつきやすい雰囲気・相手を知る努力と共通性の発見・恐れず前に出ていく態度・明快で率直な態度・光る魅力・常識的行動・楽しさの演出

などが挙げられます。湊や美姫・陽太は、友人を作る段階で必要な要因の多くを持っている事が解ります。

 

「チャムグループ」と「ピアグループ」

「氷の城壁」では様々な友達グループが存在しており、友人関係の在り方についてそれぞれの登場人物が悩みを巡らせます。

特に印象的なのは、クラスの女子グループに馴染めない美姫と月子です。

彼女たちは変わり者で異端である故に、居心地の悪さを感じているのでしょうか?

 

仲間集団というものは、年齢を重ねるにつれて、その在り方も以下のように発達していきます。

ギャンググループ(小学校高学年頃)

●同性・同年齢で構成される事が多い。
●比較的男子に多い。
●グループで同じ行動を取る。
●仲間意識が強く、結束を高めるために独自のルールを作ることがある。
●大人がやってはいけないというような、ちょっとした悪さを一緒にしたりする。

チャムグループ(中学生頃)

●同性で構成される事が多い。
●特に女子に多い。
●趣味や好みなどの内面性を共有し合う。
●一体感を大切にするため、結束を固めるために誰かを仲間外れにすることもある。
●お揃いのものをグループで一緒に持つ・悩みや不安を打ち明け合う・一緒にトイレに行くなど。

ピアグループ(高校生以上)

男女混合、異年齢のグループの場合もある。
●個人個人の違いを認め合う関係。
●お互いが異なることを尊重しつつ、趣味や将来、価値観などを話し合い、自分を確立していく。
●仲間集団を自分の居場所として大切にする。

青年期において重要なのは、チャムグループ特有の問題です。

チャムグループは、同じ感情や価値観でいる事を確認し合うという特徴があります。行動や内面の共通性によって結びつきを深めていく傾向がありますが、この結びつきの強さが、ときにグループ内での不協和音や、子ども自身のストレスに繋がる事もあるのです。

 

趣味や嗜好が同じなのは楽しい事ですが、それは同時に異質な人には排他的になる事でもあります。

友達との共通点が見つからない場合、自分がその「異質な人」になってグループから排除されないよう、「私も大好き」というフリを装う同調傾向もみられるようになります。好かれるキャラを想定して、それになりきるなど、周囲に気を配り過ぎると疲弊してしまいます。

↑を読んで、ドンピシャで当てはまる人がいます。美姫です。物語冒頭の美姫のクラスメイトとの関係は、まさしくチャムグループに該当します。

一方で美姫のバイト先の先輩との関係や、小雪やヨータたちとの関係は、まさしくピアグループに該当します。

 

同調傾向が弱まってくる高校生頃になると、仲間関係もチャムグループからピアグループへ変化していく事が期待されます。

ピアグループがこれまでと大きく違うのは、「お互いの異質性を認める」という点です。お互いの違うところを認め合い、自立した個人としてお互いを尊重した状態で共にいる事が可能になる事から、男女が混合になったり、年齢差に幅があっても成り立つようになります。

 

アイデンティティの章でも述べた通り、美姫は他の人物に比べて順調に心理発達の段階を進めています。クラスのグループに馴染めないのは変わり者だからではなく、青年期の変化として当たり前の現象なのです。クラスの女子グループに対して違和感を持っていた月子も同様です。

 

大切な存在である友達ができると、相手に対して「正直でいたい」「協力したい」「相手の気持ちを理解したい」と思うようになります。そして、プライベートなことや秘密にいておきたいことを相手に話すようになります。

これが先ほど述べた「自己開示」であり、より親密な人間関係を築くために必要な行動の一つです。

 

チャムグループ特有の問題によってストレスを感じ悩む美姫でしたが、やがて自己開示をきっかけに、友人グループの在り方をチャムグループからピアグループへと発展させていきます。素直で行動力があり、他人に良い影響を与え、順調に心理発達の階段を登る美姫らしい行動といえます。

 

「認知段階発達」「自尊感情」と心の換気

小雪が陽太や湊に対して、「自分の事を考えるのは大事だけど、一人で考え込んで、それで自分を責めちゃダメだよ」といった助言をするシーンは、きっと皆さんグッときた事でしょう。このメッセージは「心に煤が溜まる」「心の換気」といった概念で何度も登場し、『氷の城壁』において、とても重要な要素となっています。これは一体、何を指しているのでしょうか?

 

著名な心理学者であるピアジェが提唱した、『認知段階発達説』というものがあります。子どもの考え方やものの捉え方を、年齢に応じて4段階に分類したものです。

その中でも、12歳以降の青年期において、前段階である「具体的操作期」から、最終段階である「形式的操作期」を迎えると言われています。

「具体的操作期」では目の前に実在する事象を捉え、そこから思考を巡らせますが、「形式的操作期」では、実在していない抽象的なものから思考を巡らせる事ができるようになります。

難しいですが、要は青年期を迎えると「思慮深くなり、ある事ない事色々考えるようになる」というようなものです。思春期とか中二病とかいうやつです。

そうすると、存在しない事象に対する不安も増えます。いわゆる「考えすぎ」ですね。そのため、思春期では一般的に自尊感情が低下すると言われています。

 

こちらの研究では、「思春期になぜ自尊感情が下がるのか?」をテーマにしています。この論文によると、

「都築(2005)や渡辺(2001)は、この時期の子どもは内省する力の発達と併せて、多様な視点や他者からの評価に敏感になることで、自分自身に対する評価もより厳密で客観的なものになり、その結果、自尊感情の低下が生じる可能性を指摘している」「思春期における自尊感情の低下には、批判的思考態度といった思考の深まりが関係している」

と書かれています。つまり、青年期に自尊感情が下がり自分を責めてしまう現象というのは、発達段階において誰しも当てはまる事なのです。さらに、過度な自尊感情の低下は、メンタルヘルスや逸脱行動といった問題に結びつきやすいと言われています。

 

そして先ほどの友人関係の章で説明した通り、一人で考え込んで情緒不安定になった時、助けになるのは友人なのです

ですので、小雪の「自分を責めちゃダメ」という言葉は、陽太や湊の健康・人生・延いては命をも救いうる言葉であり、読者全員に突き刺さるのです。

 

「恋心」と男子二人の片思い

恋人との関係は、青年において最も親密な人間関係です。相手の気持ちを理解しようと必死になります。そうした相互理解をしようとする努力が、人間を大きく成長させるのです。

 

LoveとLikeの違い

35話で美姫の事が好きであると告白した陽太に対して、小雪が「Love?Like?」と問いかけ、陽太は「両方」と答えます。

LoveとLikingの違いを評価するための尺度を作ったのが、心理学者のルービンです。

恋愛尺度(love scale)

~さんのためなら、ほとんど何でもして上げるつもりである。
~さんを独り占めしたい。
~さんが元気が無さそうだったら、真っ先に励ましてあげたい。
私は一人でいると、いつも~さんに会いたいと思う。
~さんと一緒にいると、相手の顔を見つめていることが多い。
~さんなしに生きることは、つらいことである。
~さんが幸せになることが、私の最大の関心である。
~さんと一緒にいないと、私はとても寂しくなる。

好意尺度(like scale)

~さんなら責任のある仕事に推薦できると思う。
~さんはとてもよくできた人だと思う。
~さんはとても適応力のある人だと思う。
~さんはみんなから尊敬されるような人物だと思う。
~さんの判断力には強い信頼を置いている。
クラスやグループで選挙があれば~さんに投票したいと思う。
私は~さんのような人物になりたいと思う。
~さんはとても知的な人だと思う。
~さんは賞賛されやすい人だと思う。

 

友人関係から恋愛関係に発展する事が多い事からも解る通り、Likeが強いほど、Loveも高くなる傾向があります。

更に、女性よりも男性の方がLoveとLikeの相関関係が高い傾向がある事がわかっています。つまり女子の方が男子よりも愛情と好意を区別する傾向があり、男子の方が友情と愛情を混同しやすいといわれています。参考論文

この事からも、湊や陽太が、女性陣よりも先に相手を好きになったのは必然であるといえます。

また67話では美姫の恋愛観が語られ、LoveとLikeを明確に区別している事が解ります。

 

57話で小雪が「陽太の事は素直に褒められるし陽太のようになりたいと思うし推薦もできるが、湊はちょっと違う」というような内容の内省をしている場面があります。Like尺度の項目が陽太は高く、湊は低いという事がよく解ります。

また「独り占めしたい」「見つめている時間が長い」「幸せにしたい」「幸せになってほしい」といったキーワードを元に湊の言動を眺めていくと、彼のLoveっぷりが見えてきます。

 

湊と小雪の「同調作用」

もう一点、「同調作用」にも触れておきます。「同調作用」とは、恋愛相手と同じ行動をとる傾向があるという事です。

48話~58話にかけて小雪の恋心が芽生えている事がわかりますが、55話で二人がミステリーの趣味を共有したり、56話で湊にされたイタズラを小雪がマネしてみたり、62話や77話で湊が小雪の動きをマネしてみたりと、同調作用が多くみられます。

 

 

「道徳性の発達」「アイデンティティのための恋愛」と桃香

桃香と小雪が対峙する93話から、桃香と湊が別れ、アイデンティティ拡散状態に陥った湊に小雪が手を差し伸べる100話までは、物語最大の大山場といえます。

『氷の城壁』のメインテーマであるアイデンティティについて湊の兄が総括し、また湊にストレスによる身体症状症(疼痛性障害・転換性障害・喉頭異常感症)が生じるなど、心理学的にも見どころが多い局面です。

ちなみに100話の下駄箱のやりとりは、26話と対応&対比関係にあります。

桃香と湊の交際、そしてその後の小雪と湊の交際場面は、これから話す内容をそのままマンガ化していると言えます。

 

桃香は一見自分の信念に基づいて行動しており、アイデンティティが十分形成されているように見えます。しかし実際は道徳性の未発達から人間関係が良好でなく、そのため自分に揺るぎない自信が持てない事から、恋愛やボディメイクをアイデンティティの拠り所としているという状態です。

 

コールバーグという発達心理学者が提唱した、道徳性の発達段階というものがあります。子どもの道徳性の変化について分析されています。

道徳性の発達段階

①前習慣レベル(9歳くらいまで)自分のため例「怒られる事はしない」「欲しいお菓子をもらうために、要らないお菓子をあげる(ギブアンドテイク)」

②習慣的レベル(青年期初期まで):他の人の立場や社会全体の事を考える例「周りに良い子だと思われたい」「決まりを破ると、社会の秩序が維持できなくなる」

③脱習慣的レベル(青年期以降):個人の権利や社会のあり方にまで考えが及ぶ例「悪い事をするのは、自分の良心や自尊心に反する」「個人の権利を尊重するのが大事」「決まりを守るとかそういう事ではなく、自分も相手も幸せになる事こそが重要」

 

道徳性の発達は放っておいても自然に進むものではなく、「ギブアンドテイク」の考え方から抜け出せないまま大人になる人もいます。道徳性の発達は、他者との関わりや尊敬・共感・愛などによって促されると言われています。

 

道徳性の発達のためには、まず、自分とは違う、自分から遠い立場にいる様々な人に目を向け(脱中心化)、その人の立場で考えてみることが大切です。そうすると、前習慣レベルや習慣的レベルでは解決できないような葛藤状況が生じます。その時に、一段階進んだ考え方に触れる事で、葛藤を解決できる判断基準を作るのです。

 

93話の桃香と小雪のやりとりは、上記の内容をそのままマンガで表現しています。桃香の道徳観は第1段階の前習慣レベルで止まっており、脱中心化もできていない事が解ります。

一方小雪は個人の権利や脱中心化の意義についてはっきりと理解しており、自分の中にしっかりとした倫理観と良心を持っている事がよく解ります。

 

そんな桃香と湊の交際は早々に幕を閉じる事となります。青年期の交際は、思うようにうまく行かず、長続きしない事も多いです。そういった交際の特徴としては以下が挙げられます。

アイデンティティのための交際

①相手からの賛美、賞賛を求めたい:「好きだと言って欲しい」

②相手からの評価が気になる:「私の事、どう思ってるの?」

③しばらくすると、吞み込まれる不安を感じる:話す事がなくなる・何故か不安になる

④相手の挙動に目が離せなくなる:「(…私の事を嫌いになったんじゃないか)」

⑤嫌いになったんじゃないけど、付き合うのが重たくなったと感じる

 

こうした現象は、交際に求めるものが、相手の幸せを思いやる事や相手への配慮ではなく、知らず知らずのうちに相手からの賞賛、賛美を自分自身が自信を得るために使っていることによると考えられます。「自分では自分に自信が持てないが、相手が好きとかステキとか言ってくれるので、きっと私は自信を持ってよいのだろう」という感じです。

したがって、相手が自分以外の人に興味を持ったり、好きになってしまう事は、単に恋人を失うという事だけでなく、自分の自信の拠り所を失う事になります。したがって、相手の挙動に目が離せなくなるのです。

そして、お互いが自分の自信を得るためだけを考えて、相手からの賞賛を求め続けるわけですから、次第に交際は楽しくなくなり、息の詰まるものになっていきます。その結果、「重たく」なってしまいます。

 

小雪の言葉を借りれば、「自分のことばかり考えて行動してたら、自分の傷や思い通りにならないことや、足りない部分にばっか目がいって、全部に腹が立って仕方がなくなるから、きっと満足感を得る事は少なくて、結局、心は不幸になる」というわけです。

 

桃香と湊の交際は、上記の「アイデンティティのための交際」がほぼ当てはまります。自分の自信を証明するために恋愛を利用していたのは、桃香だけではありません。97話の「からっぽな自分を他人で埋めてた」という湊の内省は、彼がアイデンティティのための交際をしていた事を端的に言い表しています。

発達心理学者のエリクソンは、本当に2人が安心して仲良くなるためには、一人ひとりがまず自分自身に自信を持つ事が大切であると述べています。したがって、ある程度、自分に自信が持てる状態でないのに相手と仲良くなろうとすると、自分を失うような感覚に襲われるというわけです。桃香との交際により精神的に不安定になる湊が、まさしくこれに当てはまります。

小雪×湊と陽太×美姫の今後を、心理学的に予測する

先ほど示した「恋や自分のアイデンティティのための交際」から、一歩踏み出す人もいます。そうした愛的な交際の特徴を以下に挙げます。小雪×湊も、陽太×美姫も、愛的な交際ができている事が良く解ります。

愛的な交際

①相手に条件を求めず、ありのままの相手が好きでいられる(無条件性):「相手に欠点があるが気にならない。欠点ごと相手が好き」

②自分の事だけ考えるのではなく、相手のこと、二人のことも考える。相手の喜びが自分の喜びとして感じられる(相互性)

③ありのままの自分を出せるようになる(防衛の消失)

④お互いが精神的に支え合う存在になる(人生のパートナーシップ)

⑤将来の2人のことまで考えられる(時間的展望)

などが挙げられます。

111話のクリスマスデートにおける小雪と湊のやりとりは、上記の①~⑤を全て包括しており、まさしく愛的な交際を象徴しています。そしてそれはつまり、二人の人間関係がこれからも長い間保たれる事を暗示しているのです。

よって、二人の恋愛に関しては、ここで結末。めでたしめでたしとなります。

 

 

秋音の恋愛観と「初恋」

最後に余談として、秋音の恋愛観にも触れておきます。

 

思春期になると、特定の異性のことがあたまから離れなくなる「初恋」という現象がおきます。

初恋の特徴として、以下が挙げられます。

①片思いで現実的な交際の可能性がなくても相手のことを思う「憧憬」

②寝ても覚めても忘れられなくなる「憑執現象」

③相手の欠点さえ美化してしまう「結晶作用」

④ドキドキする、ボーッとするなどの「身体減少」

秋音の恋愛観は作中において、イマドキの「推し」という言葉で語られていますが、概ね上記の「初恋」に当てはまるといえるでしょう。したがって、彼女の恋愛のゴールはまだ数年後の話となります。物語中で彼女の恋愛が進展しなかったのもまた、必然という事です。

 

『君に届け』との比較

ちなみに余談も余談なのですが、『氷の城壁』がよく似てると言われている『君に届け』も読んでみました。

 

絵柄やプロット・人物像・節回しや仕草、表現方法など、『氷の城壁』は『君に届け』に影響を受けているようにも見えますが、明らかに異なる点として、やはり主人公の心理発達具合があります。

爽子は物語が始まった時点で既に脱中心化の考えと揺るぎない自分を確立しており、高い道徳性及びアイデンティティを概ね形成する事ができています。

ちなみに一話の”翔太から徒名では無く本名で呼んでもらう”というエピソードは、他人から実質初めてアイデンティティを認めてもらうという最重要シーンです。冒頭のこのシーンで、彼女のアイデンティティ問題はほぼ終了となります。また爽子は家庭環境も良好で、家庭の中で存在意義も十分に持つ事ができています。

物語開始の時点で爽子に足りていないのは友人関係の形成と自分に自信を持つ事くらいであり、その二点が達成されれば、良好な恋愛関係を築くための土台はもう十分というわけです。

 

翔太も「爽やか好青年リーダー」という周囲の役割期待と本当の自分が異なるという点をはっきり認識したうえで(前半では一部受け入れ切れていない部分がありますが)、周囲への貢献と思いやり・そして自分らしさを両立させており、爽子と同じく高い道徳性とアイデンティティを兼ね備えている事が解ります。

『氷の城壁』と比べると、『君に届け』は爽子と翔太の恋愛があまりにもトントン拍子に進み、交際が始まってからの話の方が長いくらいですが、つまりそれも必然という事です。もちろん作中において爽子が無双し上級男子にモテているのも、必然と言えます。

 

類似点も多い両作ですが、メインテーマは異なり、『君に届け』では端折られている部分を、『氷の城壁』ではメインテーマとして描いています。『君に届け』では、「良い人間関係は自分に自信を与えてくれる」「お互いもっと本音をまっすぐぶつけあっていいんだよ」的な教訓に終始している印象です。

 

ただし、『君に届け』のメインキャラの中で唯一あやねに関しては、アイデンティティが主題となっています。

周囲に気を配り何でも器用にこなしますが、自分の本音と向き合う事があまりなく、揺るぎない自分の信念を持つ事ができない事により自己嫌悪的です。そのため、恋愛経験は豊富ですがいずれもアイデンティティのための恋愛となっており長続きしません。バッチリメイクも、本当の自分に自信が持てない事の裏返しであると言えます。

そのため、自分とは対照的に、着飾らず恋愛経験はなくともアイデンティティが形成されており精神的な下地をしっかりと固めている爽子に惹かれたのでしょう。

 

『君に届け』では、16巻~18巻にかけて、アイデンティティが主なテーマとなっています。18巻73話で新井先生が「自分の弱いとこも認めてやんねーと他人の弱いとこも認めらんねーだろ」と最後にアイデンティティについて端的に総括してくださっています(笑)が、これは、“今のあやねにとって最も重要な事を一番理解しているのは新井先生である”という事を示唆する超重要なシーンであり、これが後半への伏線になります。新井先生があやねを”子供”呼ばわりするのは、「アイデンティティ形成が他の同級生に比べて未熟である」という意味です。

このマンガも良くできてるなー。

 

一方、あやねと破局してしまったケントの何がいけなかったかというと、変わろうとしていたあやねを応援しなかった事です。

ケントのように、ありのままの相手を認めてあげる事も、アイデンティティ形成のためにはもちろん大事です。

しかし、青年期は子どもから大人への移行期であり、この時期の変化というのは、アイデンティティを形成し、自分に自信を持ち、大人へと成長するために必要なものなのです。青年期の変化は、人間に備わっている性質・本能のようなものです。受け容れ、乗り越えなくてはならないものなのです。

ですので、受験勉強を頑張ろうとしていたあやねに対して、ケントがかけるべきだった言葉は、「頑張らなくてもいいよ、そのままのあやねでいいよ」ではなく、「頑張って今までの自分を変えようとしているんだね。どんな風に変わったとしても、あやねはあやねだから、僕はあやねの事がずっと好きだよ、僕はあやねを応援するよ」です。そんな言葉であれば、必ずあやねの心の奥深くに突き刺さったはずなのです。

『君に届け』の作中で何度も登場し、青年期の登場人物たちの成長を後押しする重要なセリフである、「がんばれ」だけでもまだ良かったでしょう。

その選択肢を選んでいれば、あとはケントルートまっしぐらだったのに…

 

終わりに

『氷の城壁』は超詳細な心理描写が魅力です。本来小説でやるようなコトを漫画でやっています。

しかし小説で必要とされる情景描写を絵で表現する事により省略できるため、読み手は文字を追う事で、自然にキャラクターの心理状態や台詞に集中する事ができます。余白や間・絵の描き分けを利用する事で、重要な部分を際立たせる事もできます。

そのため発達心理学の本を読むよりも、また小説を読むよりも、すんなりと頭や心に入ってきます。

湊をはじめとした具体的な身体症状症の描写や心療内科に関する一連のくだりを見る限り、作者様には少なくとも多少の心理学や精神医学に関する知識がある事が伺えます。しかしそんな事は、この作品を前にしてはどうでも良い事です。

 

素直に、キャラクター達が発する言葉に、耳を傾けましょう。そして自分なりに何かしらを考え、実践してみましょう。

 

こちらの記事で、『氷の城壁』について、もう少し深く掘り下げています。キーワードは「扉」です。合わせてお読みください!

阿賀沢紅茶『氷の城壁』感想・考察~「発達心理学」「アイデンティティ」「扉」のキーワードから~ 阿賀沢紅茶という作家さんの『氷の城壁』というマンガを読んだのですが、単なる男女の恋愛マンガかと思いきや、思いのほか心理学...
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syro:生まれも育ちも長崎市です。二児の子育て中。 趣味はインドア全般。音楽以外ではスマホ収集とトライエースと三島由紀夫と遠藤周作が特に好きです。 好きな作曲家はメンデルスゾーンと葉山拓亮。

POSTED COMMENT

  1. アバター 唐揚げ より:

    素晴らしい考察です!!
    素人さんの感想では全く物足りなく、こちらへ辿り着きました
    普遍的でありながら根源的なテーマを扱っているからこその大ヒットだったんですね

    個人的にはミナトの危うさは物語後にも続いてしまいそうな印象
    ミナトのような人が内省できたのはあくまでフィクションだから…といった印象を受けたのですが
    (成長過程とは言え他人を傷つけすぎる性格に、ポテンシャルを感じられない)
    主さんはどう思われたでしょうか?

    • syro syro より:

      感想ありがとうございます!大変励みになります(私も素人ですが…)。

      おっしゃる通り、湊はけっこう拗らせてるので、精神的に成熟するまではもう少し時間がかかると思いますし、
      将来的にも多少人格的に問題が残る可能性も考えられます。

      しかしパーソナリティ障害などで他人を傷つけがちな若者が、青年期を過ぎて普通の大人になるのはよくある事で、湊のようなケースは現実でも珍しくないのではないかと私は思います。

      精神的に未熟なまま青年期を迎えてしまった人の成長にとって必要なのは、やはり良き理解者でしょう。

      素晴らしいパートナーと巡り会えた湊の交際はこれからも安泰と考えます。また、彼は他人の感情を読み取る力や社交的に振舞う能力がとても高いので、社会人としてもうまくやれるのではないでしょうか。

      おそらく湊と小雪にとって差し当たっての最大の壁は、子育てではないかと個人的には思います。
      自分がしてもらえなかった、「二人でありのままの我が子を認め、愛してあげる(何度も何度も辛抱強く)」「安心して言いたいことを言える家庭環境づくり」
      を子どもに施す事ができるのかが、やや心配です。

      子どもに愛情が向き、夫婦間の愛情が希薄になりがちな時に、それでも相手に依存せず精神的な自立を保てるかも試されます。
      子育てに関して、小雪の両親の支援があまり望めそうにないのも気になります(母親は仕事が忙しいため)。

      そのため、小雪と湊にはそのまま5年くらい交際を続けてもらい、結婚した後もあまり急がず、精神的・経済的にも余裕ができてから20代後半~30代前半くらいで子育てに入るのが望ましいのではないかと考えます。

      • syro syro より:

        追記:なんだかんだ言っても、湊は恋人以外のクラスメイトや家族とはトラブルを起こす事もなく思春期を過ごしています。恋人に対しても暴力やモラハラをしているわけではありません。

        そのため「更生の余地が無い重症」には遠く及ばないのではないかと考えます。

        桃香と別れアイデンティティ拡散になった時に小雪や友人たちが居なかったら、もしかすると思い詰めた行動に走っていたのかもしれません。

        しかしそれだけの友人関係を築いていたのは彼自身の力であり、やはりそこまで人格に問題があるとは言えないのではないでしょうか。

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