日本でも著名な韓国の演歌歌手、キム・ヨンジャによるクラシックカバーアルバム。恋愛オムニバス形式。
2010年リリース。
1.哀愁ノクターン <ショパン:ノクターン 作品9-2>
2.夢がたり <スメタナ:モルダウ~”我が祖国”より>
3.◎ベネチアングラス <ジルヒャー:ローレライ>
4.◎命の薔薇 <ビゼー:ハバネラ~”カルメン”より>
5.誓い <ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ”悲愴”~第2楽章>
6.◎眠れぬ夜のガボット <マリ:金婚式>
7.花のワルツ <チャイコフスキー:花のワルツ~”くるみ割り人形”より>
8.嵐のマリオネット <グリーンスリーブス>
9.想い出のオルゴール <シューマン:トロイメライ~”子供の情景”より>
10.◎蜜月 <パッヘルベル:カノン>
1.哀愁ノクターン <ショパン:ノクターン 作品9-2>
ピアノとストリングスがメインのジャジーな曲。演奏は生で、シンプルだけど手堅く十分なクオリティ。キム・ヨンジャの歌唱もクセは強いけれど、さすが熟練の歌手。
原曲であるノクターン第2番のテンポやメロディの揺れと、ジャズのスウィングの相性が良く、自然に融合している。とはいえドラムとヴォーカルは揺れずに手堅くリズムをキープしており、あくまでジャズ風歌謡曲(もしくはシャンソン?)という感じ。
歌詞は具体的な描写は無いけれど、おそらく恋人に実は妻帯者だった事を告げられフラれた歌と思われる。
1曲目に夜想曲を引用したアダルトな楽曲を配置しており、ディナーショーのオープニングをイメージさせるような雰囲気を醸し出している。意図的な演出と思われる。
2.夢がたり <スメタナ:モルダウ~”我が祖国”より>
バイオリンとアコーディオン、ギターによる、哀愁溢れるシャンソン×ラテンみたいな曲。「モルダウ」のフォーキーなメロディと歌謡曲的なアレンジはとても相性が良い。
作詞は昭和の大御所、阿木燿子。原曲「モルダウ」がモチーフにしている《二つの川の源流が合流し流れ行く様》を、《止められない男女の不倫関係》・《愛憎が入り混じるアンビバレンスな感情》に擬えている。
これもおそらく不倫相手にフラれた歌。『10人の恋する女たち』と冠している割りに、さっそく冒頭の二人の境遇がモロ被り。各作詞家の間で調整とかしていないのだろうか。キム・ヨンジャの歌唱は一応1曲目とは変化を付けている。
3.◎ベネチアングラス <ジルヒャー:ローレライ>
前曲と同様の編成による3拍子の曲。
男にフラれた女性が、男の今カノである女性に対して「同じ彼を愛した女同士、友達になれないかしら。これから彼をよろしく」と失恋旅行先からベネチアングラスを送る、という歌。一見「大人の恋愛だと、こういう未練や嫉妬・後腐れの無い関係も成り立つのか?」と納得してしまいそうになるが、原曲「ローレライ」の内容を知ると印象がガラリと変わる。
そんな「ローレライ」の内容はというと女の情念を具現化したような寓話で、「不実な恋人に絶望してライン川に身を投げた乙女はやがて水の精となる。彼女の声は漁師を誘惑し、岩山を通りかかった舟を次々と遭難させていく」というもの。怖すぎる。本当は怖い「キム・ヨンジャと10人の恋する女たち」。
今までとはガラリと雰囲気を変えた優雅で穏やかな曲調も、引用により暗示された真相及び結末を知ってしまうと逆に怖い。
作詞は演歌やポップス・アニソンなどを幅広く手掛ける田久保真美。寓話と情念演歌をクロスオーヴァーさせ、深読みの余地も残した作詞ぶりは流石の手腕。原曲はドイツが舞台なのに何故かイタリアをモチーフにしている歌詞も、しっかり歌詞を考察させるための布石なのだろうか。
「キム・ヨンジャと10人の恋する女たち」ってなんか映画のタイトルみたい。どうでもいいけど。ここまで3人全員バッドエンドだが、大丈夫だろうか。
4.◎命の薔薇 <ビゼー:ハバネラ~”カルメン”より>
直球のラテン歌謡アレンジによるハバネラ。
原曲「ハバネラ」は、カルメンの奔放な恋愛感を表現した歌なのだけれど、そんなイメージから発展させたと思われる生々しい歌詞がヤバイ。異国の港町に住む少年とワンナイトしてしまったという内容だけれど、読み方によってはそれにより身籠ってしまったとも読み取れる。
さらに原曲の内容を踏まえると、更にヤバイ。
原曲であるオペラ《カルメン》のラストは、”奔放なカルメンに振り回されたドン・ホセの愛はやがて憎しみに変わり、ストーカー化したドン・ホセはとうとうカルメンを刺殺してしまう”というもの。
という事で、この「命の薔薇」の歌詞には何度も”命“というワードが出てくるのだけれど、その”命”は「情熱」を比喩しているとも「妊娠」を暗示しているとも「殺人」を暗示しているとも取れる。やっぱり怖い「キム・ヨンジャと10人の恋する女たち」。
ちなみにハバネラというのは、キューバ舞曲の一つ。これを踏まえると、「命の薔薇」の舞台となっているのはキューバの港町であるハバナであり、歌詞に何度も出てくる「ハバネラ」というワードは、情熱的な愛のダンスつまりアレの比喩であると思われる。
サラっと聴くだけでもパッと目を惹くインパクトのある歌詞の中に、更に深読みできる様々な要素が盛り込まれている。作詞は昭和音楽界のレジェンド湯川れい子。レジェンドの片鱗ここに見たり。
5.誓い <ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ”悲愴”~第2楽章>
華やかな楽器編成の、シンプルな直球ウェディングソング。今までが今までだったので、何か裏があるんじゃないかと勘繰ってしまうけれど、普通にウェディングソング。初めてのハッピーエンド。良かった良かった。
原曲のロンド形式のうち、AとBのメロディをほぼそのまま使用し、ABA構成のポップスに仕上げている。Aの部分で幸せを歌い、Bの部分で困難の予期をしている。Bの歌詞に「悲愴」感を出しているのだろうか。
今までの曲とは違って、原曲の背景や棘があまり感じられない、薄味の能天気カバー。アルバム中盤に配置されているので意図的なものだろうか。
6.◎眠れぬ夜のガボット <マリー:金婚式>
と思ってたらやっぱり来た。能天気ウェディングソングの直後に、金婚式を引用した片思いソング。シアトリカルなガボット(2拍子の舞曲)にアレンジ。
普通に歌詞を読めば、単に「家で片思い相手の事を夜通し考えている」という歌。だけれど、金婚式のメロディを使っている事を踏まえると、「金婚式を迎えたのに、他の男性に想いを馳せている歌」「熟年離婚を予感させる歌」にしか聴こえない。前曲と合わせ技で一本の組曲。
7.花のワルツ <チャイコフスキー:花のワルツ~”くるみ割り人形”より>
花のワルツを明るく優雅に歌曲アレンジ。これもごくごく普通のポジティブで散文的な歌詞に見えるけれど、作詞は湯川れい子。そしてこのアルバムは『キム・ヨンジャと10人の恋する女たち』。そんなはずはない。
それにアルバム全体を通して全体的に舞曲の割合が多いけれど、どれも碌な踊りじゃない。というわけで歌詞に散りばめられたワードをじっくり眺めてみると、“両親との死別の歌”のシルエットがじんわりと見えてくる。
8.嵐のマリオネット <イギリス民謡:グリーンスリーブス>
ピアノとストリングス、アコーディオンのいつもの編成で、グリーンスリーブスをラテン風味のワルツにアレンジ。ハイ出ましたワルツ。これもどうせ碌な踊りじゃない。
案の定、男女が密着しクルクル回り続ける円舞曲(ワルツ)を、母譲りの止められない浮気性に擬えている。
更に自身の浮気性は母親の影響であり、幼児期のトラウマや遺伝に抗う事はできないという事をマリオネットのダンスに例えている。どこまでも救いが無い。
9.想い出のオルゴール <シューマン:トロイメライ~”子供の情景”より>
原曲のメロディをたっぷり使ったバラード。シンプルに未亡人の歌。切ないけれど、不倫しないだけマシに見えてくる。
10.◎蜜月 <パッヘルベル:カノン>
再びウェディングソング。今度は熟年結婚の歌。最後は衒いなく普通に良い歌で終わる。
昼ドラ好きの主婦に「本当に不倫したらいけない。不貞はフィクションの中だけにしなさい。今の夫を大事にしなさい」と諭し正気に戻すような清廉なラスト。良かった。情念に人生を狂わされる悲劇の女性は本当は居なかったんだ。
けれど、「カノン」というのは同じ旋律を何度も繰り返す音楽でもあり、更に反復記号を最後に付けると、永遠に繰り返す「無限カノン」になる。
もし『キム・ヨンジャと10人の恋する女たち』の最後に反復記号が付いているとすれば…。
ちなみにこの「蜜月」のラストは『永遠に』のワードで幕を閉じる。
総評
秋元順子「愛のままで…」と平原綾香「ノクターン」の翌々年リリースという事で、彼女達に影響を受けて制作された企画盤と思われます。全体的な雰囲気もそんな感じで、クラシカルポップスとジャズやシャンソン、ラテン、歌謡曲の要素を融合させた、大人のクロスオーヴァー。
どの曲も原曲の旋律や世界観をしっかりとポップスに落とし込んでおり、間奏だけクラシックとかそういう肩透かしクロスオーヴァーではありません。
アレンジャーは全て伊戸のりおが手掛けていますが、作詞は湯川れい子や阿木燿子など昭和の大御所も交え複数の作家によるもの。どの曲も大人の恋愛に塗れています。しかも悉く悲劇。
平原綾香が好きで、次に聴くものを探している人に対して真っ先に勧める作品。熟年の方にも。昼ドラとか好きな方にも。